仕方アルマジロ

大学生活の記録

『ビアフラ戦争 叢林に消えた共和国』所感

  先日、「ビアフラ戦争 叢林に消えた共和国」(室井義雄著、山川出版社、2003年7月25日発行)を読了したので、その所感をここに書き残しておく。

 

 ビアフラ戦争とは1967年から70年にかけて発生した大規模なナイジェリア国内の分離独立闘争である。

 ギニア湾岸に位置するナイジェリアは、19世紀末の帝国主義時代に行われた欧州諸国によるアフリカ分割の際に定められた国境線をほぼ引き継ぐ形で、1961年にイギリスから独立した国であるため、その国内には多種多様な民族がごちゃ混ぜになって暮らしている。

 主な構成民族は北部のムスリムであるハウサ-フラニ人、南東部のクリスチャンであり、部族社会の歴史が色濃いイボ人、南西部の同じくクリスチャンであり、帝国を築いてきた歴史を持つヨルバ人である。独立当初、この三民族がそれぞれ北部州、東部州、西部州を形成し、それらによって連邦国家が構成されており、その首都は西部のラゴスに置かれていた。

 しかし、元より宗教的対立などの根深かった各民族間の関係は、連邦議会における議席数の取り合いや、主に出身民族を元に分立した政党同士の争い、石油資源の利潤配分の問題などを経て更に悪化し、ハウサ人政権に対するイボ軍人のクーデターまでもが発生するに至った。

 その後、軍の上層部のポストにイボ人が多く就いたことへの反動から、更なるクーデターが起きたほか、北部や首都ラゴスにおいてイボ人に対する虐殺が発生し、これを受けた東部州が自立的傾向を強め、最終的に「ビアフラ共和国」の建国を宣言する。しかし連邦の解体を許さない、ハウサ人を主体とする連邦政府はこれを潰しにかかる。こうして発生した内戦こそが「ビアフラ戦争」である。

 

 私がこの本を手に取ったきっかけは、大学受験の地理において、世界の紛争問題の一つとして、この戦争について言及があり、関心を抱いていたからである。

 例えば私が地理勉強の導入に利用した「実力をつける地理100題」(Z会出版、2011年4月10日発行) では、

 『ナイジェリアは言語や宗教の異なる民族から成る多民族国家である。イボ人を中心とする東部州で油田が発見されたことを機に民族対立が激化し、1967年、東部州がビアフラ共和国の独立を宣言し内戦になった。内戦後、南西部のラゴスから三大民族の地理的中間地アブジャへの遷都、連邦制の導入など、民族融和策を模索している。』(解答冊子139ページ)

 と記されている。他にも、今手元には無いが私がかつて利用した「山岡の地理」などの教材や、東進東大特進コースの地理教材でこの戦争の名前を度々目にし、いつかこの戦争および「ビアフラ共和国」のことをしっかり学びたいと思っていた。私は近代の短命な国家にどこか心惹かれやすい節があり、その成立の歴史的経緯や掲げたイデオロギー、崩壊への道などを学ぶのが好きなのである。

 

 いざこの本を読み終えてみると、受験地理の教材はやはりどうしても多くの情報を端折らざるを得ないらしいという事が見えてきた。南北で宗教が異なるに至った経緯は、簡単に言えばジハードからの奴隷貿易という、もはや世界史の分野であるが、受験世界史ではマイナーな地域であるが故に触れられない知識である一方、地理においても、当然地理は世界史ではないため歴史について深く言及されることはない。

 また、「実力をつける地理100題」では油田発見が開戦の直接的理由のように書かれていたが、この本を読んでみると、あくまで戦争勃発は政争や民族問題としての側面が強いように思われた。

 更に戦後についての記載に関しては、「実力をつける地理100題」における『連邦制の導入』という記述が、誤りではないものの、戦前から連邦制自体は行われていたことを踏まえると、どこか違和感を感じる内容に思われた。

 このように受験用の教材以外を使って受験に出てきた分野を掘り下げていくと、受験勉強においては教科区分の都合のためか隠されていた事実、教えやすさのためにか端折られていた事実なども含めて学ぶことができ、非常に理解を深められることに気がついたのは収穫であった。

 

 戦争中に関するパートは、戦史に興味を持つ人間としては当然楽しむことが出来た。首都ラゴスへの電撃侵攻を狙ったビアフラ側が、ラゴスの位置する西部の主な住人であるヨルバ人の支持を取り付けることができず、それどころか彼らに連邦側に立たれてしまい、その結果ヨルバ人との交渉をうまく進めるためにか、ラゴス侵攻軍の指揮官に任命されていたヨルバ人であるバンジョ准将が寝返ったことにより、侵攻作戦が総崩れしてしまった展開は手に汗握った。

 また、その後防戦一方となったビアフラ側の巧みな防衛戦術には感嘆させられた。個人的に面白いと思ったのは、傭兵としてビアフラ側に参加した、スウェーデン人のローゼン伯爵が、ミニコン隊という航空隊を結成して、奇襲爆撃を繰り返していたことである。逆境の中での彼らの活躍の勇壮さには、どこか憧憬の念を抱かせられるところがあった。

 ナイジェリア、ビアフラ両国は欧州諸国の援助を取り付けて戦っていたのであるが、そんな中で、守勢に転じるにつれて外部との接触ルートを絶たれたビアフラ側は深刻な物資不足に陥る。しかし、それでもビアフラはウリ空港という唯一の玄関口を通じて必死に海外からの支援物資を取り入れたのであるが、そんな必死の抵抗によって戦争が長引いたことで、物資不足の期間が続き、民間人に膨大な数の餓死者が出てしまったことは、本当に皮肉な話であった。

 

 この本ではあまり戦後の推移は詳しく書かれていないが、両軍と民間人がいたずらに屍を積み重ね、夥しい量の血が流れた結果としてナイジェリアの情勢が何か好転したとは私には思えない。

 最も分離に近いところにいたイボ人がそれに失敗した以上、今後連邦から分離独立しようという動きが現れにくくなったということは確かだと思われるが、だからと言ってこれまでの民族間対立が綺麗さっぱり拭われたわけでは全くなく、それどころか現在ですら国内情勢はガタガタのままの模様である。(参考:外務省 海外安全ホームページ)

 2019年4月14日現在、上記の外務省のホームページに記載されたナイジェリアの情報を参照するに、どうやら『南部ナイジャーデルタ地域の石油利権をめぐる政府への不満を背景に発足した多数の反政府武装組織が2006年に統合して結成されたもの』である「ナイジャーデルタ解放運動」という組織が存在しているようであるが、この存在はやはり、ビアフラ戦争の一因となった石油資源の利潤配分問題が依然として未解決であることを如実に表しているのでは無いだろうか。

 また、イスラーム過激派「ボコ・ハラム」は、外務省が言うように『ナイジェリア北部を中心とするシャリーアイスラム法)に基づく「カリフ制首長国」の設立を目標とし』『北東部での領域確保を進めるため,地方都市や村落に対する襲撃・占拠攻勢を繰り返して』いるわけであるが、どうやらその過程で多くのキリスト教徒を虐殺してるようである。

 また、歴史的に見て保守的なムスリムである遊牧フラニ人とキリスト教系住民の間の対立も未だに血なまぐさいようであり、こうして見るに宗教摩擦も健在のようだ。政権も選挙においてムスリムからの票を得たいが故、あまりキリスト教徒保護のために動けないようである。(参考:THE CHRISTIAN MESSENGER

 

 情勢が好転する兆しの見えないナイジェリアであるが、ビアフラ戦争における尊い犠牲は全くの無駄になってしまったのであろうか。虚しさだけがただ募る。

 

参考文献

・「ビアフラ戦争 叢林に消えた共和国」(室井義雄著、山川出版社、2003年7月25日発行)

・「実力をつける地理100題」(Z会出版、2011年4月10日発行) 

・「外務省 海外安全ホームページ」(2019年4月14日閲覧 https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcterror_115.html)

・「THE CHRISTIAN MESSENGER」(2019年4月14日閲覧 http://www.christianmessenger.in/hundreds-of-christians-dead-as-violence-rocks-nigeria/)