仕方アルマジロ

大学生活の記録

『武田信玄:芳名天下に伝わり人道寰中に鳴る』所感

 先日、笹本正治武田信玄:芳名天下に伝わり人道寰中に鳴る』(2005.11 ミネルヴァ書房)を読了したので、ここにその所感を書き残しておく。

 表題からも分かる通り、この本では全体を通じて武田信玄という一個人を中心として歴史を描いているため、主に触れられているのは信玄の誕生から死亡までの時代である。なので、信玄の父である信虎による甲斐国の統一や、信玄没後の四男勝頼の動きなどについて詳しく知りたい方は他の書物に当たる方が適しているだろう。

 

 この本では全体的に信玄の策略や人格を肯定的に評価しているところが多かった。例えば「引き分け」と言われることが多い(と私が感じていた)武田と上杉の北信濃における競り合いについては、局地的な戦闘における敵の撃破数においては上杉側が優っていることが多く、戦術的勝利を重ねているとしながらも、最終的に築城や調略で支配圏を浸透させているのは武田側なので、武田の戦略的勝利であると明言している。

 また、諏訪神社善光寺などに対する信玄の信仰についても、彼は深い信心を抱いていながら、同時に宗教的権威を領民の人心掌握にうまく利用しているとし、その思慮深さを高く評価している。

 著者は更に、そのような信玄の思慮深さは彼が家臣などの個々人に宛てた手紙からも読み取れるとし、信玄の人格をも高く評価しているが、これについてはもう少し資料を見てみなければ鵜呑みにはできないと感じた。

 ただし、現在の一般的な信玄への英雄としての人物評価が、信玄を讃えた歴史書甲陽軍鑑」に基づいていることのほか、信玄は父信虎による甲州統一後に生まれた人間であるため、信州への対外進出に終始しており、甲斐の領民の生活が脅かされなかったことなどを挙げ、一部信玄が過大に評価されていることは本書でも認められている。例えば信玄が作ったとされる「棒道」や「信玄堤」については、出典が乏しいとして存在を疑問視している。

 いずれにせよ、信玄が家督を継いだ「信虎による甲州統一後」という時代は、非常に信玄にとって領民の不満を抑えながらやっていきやすい時代であったことは間違いない。しかし、そんな中で少ない損失で着実に信州を支配して行った信玄の手腕は十分に評価に値するであろう。

 

 小学生並みの感想になってしまうが、信玄の嫡男である義信が、信玄の死ぬたった六年前に謀反を起こし自害したために、急遽四男勝頼が家督を継承することとなり、家臣団の分裂を招いたことは非常に残念な出来事であると感じた。また、勝頼の「頼」が諏訪氏からの偏諱であり、この名付けによって信玄は諏訪神社の権威を取り込もうとしていたというような話はとても興味深い。

 

 そういえば昔、現在の5chであるインターネット掲示板2chにおいて、「武田家は甲斐の金山の収入があったから強かったのであり、信玄の人物としての能力は凡庸またはそれ以下だった」という趣旨の意見があったが、私はこの本の読了後、その意見に違和感を覚えた。

 この本によれば、田辺家が管理した黒川金山をはじめとする甲斐国内の金山は、どれも武田家の家臣ではない「金山衆」によって管理されており、武田家がその開発に介入したり、産出した金を徴収したりするのは難しかったであろうと言う。だから、確かに金山によって甲斐国内の経済は発展し、甲斐の国力増強には寄与していたが、完全に武田家が金山頼みであったというのは言い過ぎなのではないだろうかと感じた。

 

 それにしても、信玄に関係する山梨県内の史跡、寺社仏閣や、信玄の信州征伐に関わった長野県内の城郭、古戦場などの説明や写真を見ていると、どうしても実際にこれらの地に足を運んで訪れたくなる。夏休みを利用して実際に行ってみようかとも考えているので、もし実現した際は旅行の記録をこのブログに載せたいものだ。