仕方アルマジロ

大学生活の記録

映画「独立愚連隊西へ」所感

 先日、岡本喜八監督の映画、「独立愚連隊西へ」を視聴したので、その感想を述べたいと思う。この映画は同監督の「独立愚連隊」という映画の続編だが、その内容は前作から独立したものとなっている。岡本喜八監督の映画といえば、以前の記事で『血と砂』を紹介したが、あちらも見方によっては「独立愚連隊」のシリーズと言えるようである。

 私はこの「独立愚連隊」シリーズに関しては、数年前に「独立愚連隊」および「どぶ鼠作戦」を視聴して非常に面白かった記憶があるほか、少し前に視聴した「血と砂」もかなり好印象であったので、この「西へ」にもかなり期待してレンタルしたのであるが、案の定これが面白かった。シリーズで一番、いや、今まで見た戦争映画の中で一番良かったと言っても過言では無いかもしれない。

 愚連隊シリーズに関して、私が共通して感じさせられるメッセージ性は、まず「人命尊重と反戦」、少し関連して「軍隊組織の理不尽さへの反抗」、更に「勇敢に戦った敵味方の将兵への尊重」である。シリーズ内でも作品によってそれぞれの比重は異なるものの、ある程度共通したテーマとしてこれらを感じさせられた。これらに関しては『太平洋の奇跡』のような現代の戦争映画の中でも、全部または一部をある程度念頭に置いている作品は多いかもしれないが、この愚連隊シリーズが凄いのはそれらをコメディーとしてエンタメ作品化した上で行なっているところだ。ポリコレの考え方が広まった現在では、このような表現の自由は失われつつあり、こういった作品を再び作ることは難しいのではないかと思われる。

 それはともかくとして、このシリーズにおいてはまた、雰囲気が快活な西部劇風であることも共通点である。そのためもあってか、八路(バーロ)軍の出没する北支の荒野という、中国戦線の中ではだいぶ西側に位置する地域が舞台となっているものが殆どだ。

 また、この『西へ』の中で特徴的なメッセージ性としては、敵の中にいる味方、味方の中にいる敵についての強調が挙げられるであろう。それについては後述していく。

 

 それでは、映画の内容の中で特筆すべき点を挙げつつ、前述したテーマに合わせて見ていこう。今回の記事は今までの映画感想記事と比較しても一層ネタバレ多めなので、読まれる方は一段と注意されたい。ただし、ストーリーを要約するのは面倒臭いので、読者が作品を見ている前提で書いて行くのはいつもの通りである。

 

 まずは冒頭、歩兵第463聯隊の軍旗が敵襲に晒されるシーンから始まる。このシーンではズタボロの軍旗が描かれるのだが、これが日本軍にとっての軍旗がいかなるものかということをよく表している。部隊結成の時に陛下から賜った軍旗は、敵弾雨飛の最前線の中でも高々と掲げられ、その旗手は旗手たることを誇りとした。兵たちはしばしば命に代えて敵の手から軍旗を守り抜いたのである。そんな軍旗の汚れや破れは、部隊がくぐり抜けてきた数々の激戦の歴史を物語る証拠であったのだ。

 そして元聯隊旗手であった留守部隊長の大江大尉は軍旗奪還に躍起になり、麾下の兵隊から軍旗捜索隊を編成して無謀な出撃命令を下した。出撃の時の大江大尉の演説からも、彼の軍旗への思い入れが伝わってきた。恐らく彼の言葉にあるような内容こそが、実際の日本軍の軍旗に対する考え方の一般的なものであったのだろう。

 さて、この第一次軍旗捜索隊が出発する時、慰安所の前を通るのであるが、そこでの女郎たちの会話が面白かった。軍旗捜索隊が慰安所に来るのだと思って喜んだ一人の女郎に対して、別の一人が「彼らは軍旗を探しに行くのだ」という趣旨の発言をすると、それを聞いた一人が「へえ、兵隊さんを探しに行くんじゃないの?」という風な返しをする。それに対して先ほどの一人が、「兵隊さんは葉書一枚でなんぼでもくるよ。」と答えたのである。物語の登場人物としてのこの女郎は、何の特殊な意図もなくこの発言をしたのかもしれないが、恐らく台本にこの台詞を書いた人は、軍隊における人命の軽さを揶揄する意図で作ったのであろう。何気ない言い回しの巧さに感心させられる。ちなみに女郎の出て来るシーンで流れる音楽は、灰田勝彦の「燦めく星座」である。シリーズの他作品でも、女性の登場するシーンで、同様にこの曲が使われていた記憶がある。

 主人公の左文字少尉ら、独立愚連隊の人命尊重の心も、その語り口からよく伝わってくる。手柄を独占するために軍旗捜索に躍起になり、「足手まといの衛生兵は置いていきましょう」と意見具申した関曹長に対し、少尉が「軍旗に赤チンは要らんが、兵隊には要る」と言って突っぱねたのが粋であった。ちなみに「赤チン」とは衛生兵一般の渾名である。このような兵隊たちの細かな言い回しにまで気を配っているのが面白い。

 そして軍旗を守っていた北川少尉を発見した時、軍旗を左文字少尉に手渡した後に自決しようとした彼を止め、左文字少尉は、命令では軍旗を救出しろとのことだったが、自分は聯隊旗手を助けに来たという言葉を発する。あくまで彼の目的は旗の救出ではなく、人の救出なのだ。大江大尉や関曹長らとの考え方の違いである。

 結局救出に行った左文字少尉と衛生兵は、手榴弾を遠くで爆発させ、北川少尉が隠れていた洞穴の外の崖の上で待機していた仲間たちには北川少尉が自決したと嘘をついた上で、彼とその伴侶の現地人女性を駆け落ちさせた後、軍旗を持って戻るのであるが、この二人を見送る時に祝言を上げるとして左文字少尉が衛生兵に歌わせた歌の歌詞が、花笠音頭のものであった。しかし節回しが違い、それが何であるかは分からなかった。歌う時に衛生兵が、洞穴の外に放り投げた手榴弾が転がり落ちる音に合わせて拍子を取り、歌っているのが粋な演出であった。

 対照的に、軍旗捜索に躍起になり、全滅した歩兵第463聯隊の墓を拝まなかったり、また回収した軍旗をこれ見よがしに肩に巻いて行く関曹長の行動には、彼の手柄への強欲さがよく表れていた。そんな彼を愚連隊の左文字少尉であったか戸川軍曹であったかが、「勲章を欲しがるのは子供と職業軍人だけだ」と聞こえよがしに言って皮肉っていたシーンは面白かった。

 その後腰に巻いて隠したために臭くなった軍旗を雑に天日干しにしてしまうような愚連隊の面々であったが、それでも左文字少尉は、窮地に陥ってもなお、最後まで軍旗を持ち帰ろうと奮闘する。その理由は軍人特有の軍旗への誇りではなく、北川少尉にきっと軍旗を無事送り届けることを約束したからであった。どこまでも義理堅く、人情深いのがこの愚連隊である。軍旗を「『布っ切れ一枚』で苦労かけやがる」と雑に形容していたのも面白かった。

 

 このように人命尊重を訴えかける映画らしく、この作品では登場人物の設定の作り込みが細かい。雑多で均一な兵隊たちではなく、皆それぞれの暮らしや過去を持っていた一人一人の人間として、繊細に描かれているのである。

 最もパンチが効いているのがピー屋の早川だ。早川はかつて帝国軍人少尉であったが、ノモンハン事件で捕虜となり、捕虜交換で戻ってきた身であった。その際彼は上官に拳銃を渡し、自決を強要したので、彼の同僚は皆死んでしまったのであるが、彼はそれを断り、国賊呼ばわりされたのであった。今、早川は大陸浪人のようになり、ピー屋、すなわち慰安所の経営者をやって軍隊相手に商売しつつ、土民との交流も持って情報屋もやっている。

 早川はその経歴もさるものながら、作中でノモンハン当時の上官であった新田参謀と決闘し、倒してしまうなど、なかなかにぶっ飛んだ人物である。この決闘の中での早川の台詞回しも面白かった。まず、路傍の凹地に隠れて新田と退治しつつ、早川はノモンハンから捕虜交換で帰ってきた時の回想を語りながら、「おたくが変なものをくれましてねえ」と言って新田の方を振り返る。その時、新田は拳銃を発砲し、これが早川の至近距離に着弾するのであるが、それを見て早川は「そう、ピストル!」と話を繋いだのだ。続けて自決を強要されたことを語った後、「腹を切るべきなのはまずい作戦指導をやったおたくらの方でねえか」と言って早川を責めた。捕虜になるぐらいなら死ねという、軍隊の理不尽な教えへの反駁、そして部下に責任を押し付けた上官への追及という、早川の心持ちがよく表れている台詞に思えた。

 そんな早川であるから、軍旗捜索に血眼になる大江大尉を見て、「惚れた女は忘れられないか......」と揶揄する発言をしているのが印象的であった。彼の生き方を見ていれば、彼が人命よりも軍旗を尊重することにはあまり共感を示さないことはよく分かる。

 余談だが、この早川と大江大尉とのやりとりの中で、大尉が言った「痛い!と言いたいところだが痒くもない。」という台詞が粋であった。「痛くも痒くもない」という慣用句を、説明的にならずに流れるように会話の中に溶け込ませているのが実に面白い。

 他にも面白い人物は沢山登場する。独立愚連隊の一員で、事あるごとに算盤で運勢を占う神谷一等兵が代表的である。彼が早川に頼まれて、死んだ新田参謀に変装して参謀のふりをし、見事に大江大尉を騙しているのが面白かった。きっと今まで見てきた上官たちの偉そうな態度を真似て振舞ってみたのであろう。そんな彼が敵弾に斃れて死んだ時、荼毘を前にして皆が「いいやつっだった」と呟く中、左文字少尉が「月並みなことを言うな。おかしな奴だったよ。勝手に死んじまいやがって、全くおかしな奴だ。」と口にしたシーンは哀愁を誘った。この少尉自身も、農家の出身であることが作中での振る舞いに関わっており面白い。

 他にも所謂モブキャラの演出のきめ細かさにも事欠かないのがこの作品の長所である。独立愚連隊を敵と間違えて誤射を行なった補充兵の部隊は、一つ覚えのように歩哨のノウハウ(歩兵操典か作戦要務令か何かの内容であろうか?)を繰り返し、そして愚連隊を見つけた時にはガタガタと震えながら銃を構えている。彼らの練度が低く、戦場に慣れていないことがよく伝わって来る演技だ。

 

 このように人物像がしっかりと書き込まれていることは、味方のみならず敵側にも言えることである。この映画で最初に独立愚連隊が登場するシーンでは、冒頭から霧の中での敵との至近距離での追いかけっこから始まる。前方を行く敵の輜重隊を追っていた愚連隊は、霧の中でいつの間にか四方を敵に囲まれていたのであるが、ごく至近距離であるので、敵は友軍への流れ弾を恐れて撃ってこない。そのためただ両軍とも全力で走るだけのマラソン大会のようになったのであるが、結局お互いバテてしまったため、軍使を出して話し合い、ここはお互い手出しをせずに軍を引くことで合意した。この話し合いの際の敵の指揮官が左文字少尉に負けず劣らず粋な人物で、通訳の戸川軍曹を介しての左文字少尉との掛け合いが非常に面白かったほか、独立愚連隊の数倍の兵力を保有していたにも関わらず、きちんと約束を守って兵を引く武士道精神にも感服させられた。この中国軍隊長は物語のクライマックスに再登場し、再び粋な掛け合いを見せるのである。

 他にも、かつて兄弟に留学していた中国人の対日本軍スパイは、終始怪しい雰囲気を醸し出しており、いつ裏切るか分からない様子であったので手に汗握ったのだが、スパイがバレた後は潔く負けを認め、最後には軍旗を奪いにきた前述の中国軍隊長に対して「彼らは軍旗を焼いてしまった」と嘘をついて愚連隊を助けている。恐らくスパイに気づいていたにも関わらず、命を取ることはしなかった左文字少尉たちへの恩返しだったのであろう。隊長はスパイの話が嘘であることに気づいていたが、「騙されるのも気持ちがいいもんだ」と言って、自らの手柄を顧みずに独立愚連隊を逃している。

 このように、手柄に焦った日本軍士官が部下を死地に追いやっているのと対照的に、敵である中国軍の粋な面々との間に芽生えた友情が愚連隊を助けているのであるから、どちらが本当の敵であるのか分からなくなってくるものだ。

 冒頭の敵とのマラソンのシーンの最中、兵士の「隊長、いつまで走るんですか!」という質問に対して、左文字少尉が「分からん、敵さんに聞いてみろ!」と言っているシーンがあったのだが、その直後に中国兵と隊長が中国語で同じやり取りをしているのは面白かった。お互いに敵同士で、所属する国家が違っていれど、こうして感覚が共通していると、やはり同じ人間であるのだと改めて思い知らされる。昔見た映画『二◯三高地』の、日露両軍の休戦日のシーンが思い出された。

 余談だが、左文字少尉がクライマックスシーンで、ゲリラとスパイの捕虜を中国軍の隊長に返還した時、「お客さんをお返する」と表現していたのが粋であった。

 

 そしてこの映画の面白さは、なんといっても全体がコメディー調に統一されているところである。笑わされたシーンは枚挙に遑がないが、印象の強いものをいくつか列挙しておこうと思う。

 独立愚連隊は友軍に誤射された際に荷物を川に流されてしまい、裸一貫になってしまったのであるが、この後に別の友軍の補給トラックを襲って装備を奪い、整えている。これが後にバレて兵たちは営巣に入れられてしまうのであるが、その時に取り調べに来た憲兵をからかっているのが面白かった。

 憲兵が「只今より取り調べを行う!先任者から順に名前と階級を名乗れ!」と怒鳴ると、真っ先に戸川軍曹が口を開き、堂々と「陸軍軍曹、森野!」と名乗る。憲兵が「名前は!」と聞くと、戸川は「石松!森の石松!」と続けたのである。これを聞いた憲兵は「何ィ!?」と顔を引きつらせる。すると愚連隊の面々は「陸軍伍長、大瀬の半五郎!」「陸軍兵長、追分三五郎!」「陸軍一等兵、桶谷の鬼吉!」と次々と清水の次郎長の子分を名乗って行くので、終いには憲兵は怒りにわなわなと震え出してしまった。

 一方の左文字少尉は、強奪を指揮した責任を負って憲兵隊に出頭したのであるが、そのシーンの直前に「左文字隊は記録では死んだことになっている。一度死んだ部隊に一体どんな罪が成立するかな?」と高を括っていたにも関わらず、直後に憲兵が「武器強奪、被服強奪、軍用物破損、兵員傷害......」と罪状を連ねているのが面白かった。

 他にも弾道が45度逸れるポンコツ銃を使うことで、愚連隊を処刑しようとするゲリラを上手く騙して窮地を脱するシーンや、歩き疲れた衛生兵の「マメ中足だらけであります。」「そう言った方が適切であります。」という台詞、愚連隊が弾薬嚢を太鼓のように叩いて拍子を取りながら軍歌を歌うシーンなどが面白かった。

 関曹長憲兵を殴り倒し、営巣から左文字少尉を救出するシーンで発した「西部劇にこんな場面がありましたな」という言葉が、その後に彼が足手まといだと思っていた衛生兵を殺したことで、愚連隊と仲間割れになった際に、愚連隊を銃で脅して言った「ギャング映画にこんな場面がありましたな」という言葉につながっているという、伏線の配置も面白い。

 そのほかに粋であった演出は、死んだ衛生兵とその恋人、そして神谷上等兵の遺骨をの入った包みを背嚢に括り付けて愚連隊が行進するラストシーンや、戸川軍曹がよく発し、場面によって嬉しさの表れと悔しさの表れのどちらであるかが上手く区別して演技されている「チクショウ」という台詞であった。

 また、主題歌・挿入歌である「独立愚連隊マーチ」と「粋な大尉」は、メロディーも歌詞も作品の内容に見合った非常によいものであった。特に後者の「靖国神社が満員で」という歌詞の皮肉には大いに感心させられる。

 

 そしてここまで散々悪評してきた大江大尉であるが、彼も最後には良いところを見せている。前述の通り関曹長は、左文字少尉を営巣から救出する際、憲兵を殴り倒したのであるが、この憲兵が直後に死んでしまっていたのである。この罪について、散々酷使される独立愚連隊へのせめてもの慰めとしてか、大江大尉は「左文字小隊は二年前に全滅したことになっている。この事件の関係者で生きているのは貴公だけだ。」と言って左文字隊には転属命令以外の何も出さず、これまでの諸々の罪を不問とし、一方で軍旗奪還の手柄に鼻を高くする関曹長軍法会議送りにした。

 この大江大尉には、愚連隊へのせめてもの人情という、『血と砂』の台詞を引用して説明すれば、ただ軍紀に従って命令を遂行すれば良いだけの「職業軍人としての出来の悪さ」が少しはあったのだろう(参考:以前の記事の意味段落下から三つ目、大隊長に関する言及)。

 

 冒頭で示した通り、ここまでこの映画『独立愚連隊西へ』の作中で表現された、「人命尊重」「軍隊の理不尽への抗議」「敵への尊重」「敵の中の味方、味方の中の敵」などを見てきたのであるが、確かに現代の戦争映画ではこれらをコメディー調で表した作品は、ポリコレの影響もあってか殆ど見られない。しかし、社会や組織の理不尽への抵抗、そして人間性の尊重などの正論をエンターテイメント化して表す、このような作品への需要が未だ人々の中で健在であることは、軍隊から現代人がより感情移入しやすい会社などへと舞台を変えて、『半沢直樹』のような作品がヒットしていることからも分かるのではないだろうか。

 

 長くなってしまったが、最後に一つ、愚連隊が物資を強奪したトラックと、463聯隊の駐屯地において再会した時に、すっとぼける為に兵士たちが手を叩いて歌っていた、「昨日別れた夕日の丘も......」という歌い出しの歌が何であるのかが気になったので、題名を知っている方がいらっしゃったら教えていただきたい。歌詞を検索してもヒットしなかった上、Amazonで販売されていたサウンドトラックの曲目の中の表記には「トラック歓迎」というものがあったので、無題のオリジナル曲である可能性もあるが、実に気になるものだ。