仕方アルマジロ

大学生活の記録

『イスパノアメリカの征服』所感

 先日、『イスパノアメリカの征服』(マリアンヌ=ロト著, 染田秀藤訳, 1992年6月20日, 白水社)を読了したので、その所感をここに書きまとめておこうと思う。

 この本は大航海時代における「新大陸」の発見と、その征服についての歴史を、主にスペイン人のコンキスタドーレス(征服者)の動きと、それに対抗した原住民を中心に据えて論じたものである。そのためポルトガルや英仏の活動に関しては殆ど触れられていない。

 

 この本全体を通じて私は、今までただ残虐なものであると曖昧に認識していた、スペイン人の入植の意外な側面に驚かされた。それはつまり、残虐であったのは富や地位を求めて原住民を侵略したコンキスタドーレスや、その後エンコミエンダを手にし、原住民を奴隷として酷使し、農場や鉱山での労働に充てたエンコミエンデロという農場主の一部のみであり、修道会士や本国の人々をはじめとする多くのスペイン人は、そのような原住民に対する暴虐に心を痛め、批判していたということである。そしてそのような声に心を動かされたエンコミエンデロの一部は、原住民への補償へと動いたことすらあったのだ。

 このような現象の背景には、主に二つの要因があったのではないかと私は考えた。まず一つは、スペインが強力なカトリック国家であったことだ。それ故にスペインが新大陸を発見したのは、神が何かスペインに対して新大陸における使命を与えたからであり、それこそが原住民に対するキリスト教の布教だと考えられたのである。そのことは原住民を布教の対象として位置づけ、今は無知蒙昧であるが、やがてキリスト教を信仰するようになり、スペイン国王の権威になびくこととなる、臣民として捉えられたのだ。それ故に修道士たちは積極的に平和裏の布教活動を行い、正しいキリスト教道徳を教え込むために、堕落した入植スペイン人たちと原住民との接触を防いだりもしていたという。

 もう一つは、メキシコ高原のアステカ、およびアンデスのインカを中心とする地域が、トウモロコシという栄養価の高い作物に支えられ、大人口と高度な文明を築いていたことだと考えられる。とこれらの文明の産物、例えばインカの「王の道」やキープという縄の結び目を用いた情報伝達技術などは、スペイン人たちをも大いに感心させ、異教徒ではあるものの、原住民に一目置くことになる主要な理由となったようだ。特にインカ帝国の征服においては、コンキスタドーレスがかなり恩知らずな裏切り、騙し討ちによって皇帝アタワルパを攻撃し、最終的には処刑したため、相当な批判が国内からも渦巻いたようである。

 私がこの二つの要因を挙げることで比較したいのは、北米のインディアンに対する、イギリス人を始めとする入植者の扱いである。インディアンが土地を奪われ、追放され、虐殺され続けた上、あまり混血が発生しなかった背景には、彼らがアンデス、メキシコと比較してそれほど高度な文明を築いていなかったが故に、軽んじられてしまったということがあるのではないだろうか。また、そのことも相まってか、スペイン王国と違って、北米に入植したイギリス人たちが原住民を布教の対象とそれほど強く認識していなかったことも、迫害と虐殺を推進する理由になってしまったのかもしれない。とはいえ、あくまでこれらは仮説でしかないため、以降北米における入植に関する本にも触れて、いつか検証してみたいと考えている。

 なお、同じ北米への入植者であっても、フランスは原住民と協力する傾向が強かったようであるが、これはフランスが通商目的で新大陸に進出していたからだと思われる。一方のイギリスは幅広い入植と定住化を試みたので、先住者を邪魔者と見る傾向が強かったのであろう。スペイン人も定住して農園の経営、鉱山の開発を試みたので、ここにイギリス人との共通点があるわけなのだが、その結末の違いの成因について、私は上記のような仮説を立てたわけである。

 

 また、一攫千金を狙うスペイン人征服者が、自分たちだけでは農園を維持できず、まずはエスパニョーラ島で原住民を無償労働力として使い始めたことが、エンコミエンダ制の始まりであるようだが(p25記載)、そのようなスペイン人の態度と根本的に異なって、自らの手で農地を耕したことこそが、日系移民の成功の理由なのではないかと思い至った。日系移民の歴史については手元に本があるので、後日再読して考察したい。つまりこれも単なる仮説である。

 とはいえ、スペイン人にも、本国から農民を連れてきて農園を経営する発想はあったようなのだが、封建制であった当時のシステムがその実行を邪魔した。ある封土の農奴を新大陸へ送り出すとなれば、国王は領主にその分の損失の十分な補填を行わなければ、強い反発を受けてしまう。例えば20世紀の国民国家日本で行われた、大規模な国策満州移民のような計画が実行できなかったのには、そのような社会的背景があったというのは非常に興味深い。

 

 ともあれ、修道士ラス・カサスをはじめとする、インディオたちの擁護者の働きの成果もあって、南米では北米に比べて多くの原住民が生き残り、またその文化や歴史、芸術、言語、習俗なども比較的多くが現代まで存続し得たほか、原住民との混血が大規模に発生したことは事実である。

 本書のp148周辺ではビトリア、p149周辺では、ラス・カサスという、二人の代表的なインディオの擁護者の言説が紹介されているのであるが、その内容がまた興味深かった。

 前者のビトリアは、布教を大義名分として侵略戦争を仕掛けることを否定してはいるが、男色、人身供儀、人肉食などといった「野蛮な」文化を正し、原住民を「文明人」に叩き直すための征服は肯定している。 

 その一方で、後者のラス・カサスは如何なる征服戦争をも否定しており、また、当時半ばスペインの傀儡や、亡命政権のようになって、未だ存続していたインカの末裔に、ペルーの統治権を返還することすらをも訴えた。余談だが、私は受験世界史でアタワルパこそが最後のインカ皇帝であると学んでいたので、その後も傀儡や亡命政権が存続し、権威を持ち続けていたこと自体が初耳であり、驚きであった。

 このような二者の理論の対比の中で、当時としてはラス・カサスの意見が非常に急進的であったとして説明されているのは、文化相対主義などが未だに全く台頭していないであろう当時を鑑みればまあ当然なのであるが、やはり我々現代人、と言ってしまうと主語が大きすぎるので、西側の自由主義・民主主義社会の中で人権思想の恩恵を享受してきた我々の価値観からすると、当時の人々の、そして当時のキリスト教の倫理観を疑ってしまうものである。

 そんな中で、ラス・カサスが、自分の理論を証明するために、グアテマラの一地方において軍事力を用いずに根強い宣教活動を行い、最終的に改宗した原住民にスペイン国王の主権を認めさせたと言う事実は、ラス・カサスを尊敬に値させるエピソードであった。なお、ラス・カサスは黒人奴隷制を擁護したという話もあるが、晩年彼はその考えを改め、黒人についてもインディオと同様に権利を擁護している。

 

 インディオの文明に関する言及の中で、私が最も興味を惹かれたのは、インカ帝国統治機構に関する記述であった。インカ帝国が存在していたアンデス地域は、山脈が太平洋岸に迫っているが故に標高差が激しく、その標高差のために異なる気候に伴って、地域ごとに異なる作物が栽培されているのであるが、インカ帝国は税制によってそれらの作物をそれぞれ徴収した後に、異なる地域に再配分することで、それぞれの地域で手に入らない物の流通を促進していたのである。地元の風土に適応したこの再配分システムには大いに感心させられたが、だからこそ、そのような地理風土をよく把握せずに、ただ金になる作物を、それを育てられない地域に要求し、このシステムを破壊したスペイン人領主には腹が立ってしまう。

 そのほかにも、征服からだいぶ時が流れた後に、異教の復活に伴って発生したメキシコの千年王国運動や、インカの子孫のマンコがクスコを包囲した大反乱、およびチリのアラウコ族との戦いなどの記述には、かなり興味を唆られたので、これらを軍事・戦史的な側面から解説した書物があれば読んでみたいと思った。

 

 また、p134, 135にある、旧約聖書の創世記の観点から、新大陸に存在する人間をどう捉えるかという議論の紹介も面白かった。旧約聖書では現代に存在する全ての動植物は、大洪水をノアの箱舟によって免れた存在のみであるとされているのであるが、新大陸において旧大陸には存在しない、異形の生物たちを数多く目にしたことで、スペイン人は大いに動揺したようであった。私はこれが気になって旧約聖書の該当箇所(創世記6~9章)の記述を見てみたのであるが、方舟に乗り込んだ存在について、特に具体的な生物の名前は列挙されておらず、ただ「潔き獣と潔からざる獣と鳥および地に匍ふ諸の物」と記されていたので、別に異形の生物が存在しても、今まで方舟に乗っていたことが忘れ去られて遠くで暮らしていただけと考えれば違和感は無いように感じた。ここについてはもう少し背景を探ってみたいところである。

 他にも、インディオたちを、人類の共通の祖先であるノアの息子と見なさざるを得なかったことや、彼らをイスラエルの「失われた10支族」の末裔であるとした仮説、そしてインディオたちの伝承に残っていた洪水の話を、旧約聖書のそれと同一視したこと、またケツアルコアトルの伝説をキリスト復活後に全世界に分散した使徒の一人である、聖トマスと同一視したことなどは興味深かった。そしてこのような同一視が、人種間の融和を進めたと言うのもなおさら興味深い。

 

 その他に興味深かった記述は、p19などで触れられている、例えばエル・ドラドのような、南米に残る財宝伝説の多くは、欲深いスペイン人征服者を遠方へ追いやるために、原住民がでっち上げた出鱈目だったというものなどである。なるほど、征服者の特質の裏をかいた原住民の知恵には感服の限りである。

 また、王室官吏に従わずに好き勝手する征服者の発言として、p15で紹介されていた、「神は天に、国王は遥か彼方におはし、私がここを支配する」という発言には、恥ずかしながら無性に男心というか、ロマンというかをくすぐられた。私も自らの軍勢を率いて新天地に立ち、「国王」の部分を「天皇」に替えてこのような台詞を嘯いてみたいものであるが、少なくとも現代では、地球上においては今後不可能であろうと思うと、生まれた時代を間違えたかのような感覚を覚える。

 だが、忘れてはならないのは、トウモロコシの恩恵に支えられ、密度の差はあるものの、当時アメリカ全体に7000万いた(諸説あり)というインディオの人口を激減させ、メキシコ地域では2500万(諸説あり)から本著発行時点での公式記録である350万にまで減らしてしまったのは、征服や強制労働よりも、何よりも旧大陸から持ち込まれた、原住民にとって免疫のない疫病であったということだ。本筋からは大きく逸れるが、現代医学の力には感謝してもしきれないことを再確認させられた一冊であった。