仕方アルマジロ

大学における学習、研究、巡検、旅行生活などの記録

『最後の馬賊 「帝国」の将軍・李守信』所感

 先日、『最後の馬賊 「帝国」の将軍・李守信』(楊海英, 2018年8月20日, 株式会社講談社)を読了したので、その所感をここに書き記しておこうと思う。

 この本はそのタイトルの通り、李守信という人物に焦点を当てて、モンゴル人の著者が内モンゴル独立運動の歴史を書いた一冊である。李守信とは、清末から中華人民共和国建国期にかけて、内モンゴルの独立と、内外モンゴル民族の統一のために奮闘したモンゴル人である。モンゴルの民族自決運動に目覚める前の李守信は、馬賊として活躍していたのであるが、その頃の経歴も内容に含まれている。

 

 李守信の馬賊時代の記述に関しては、モンゴル人馬賊の多くが、中国人のそれとは違って、自民族の独立と統一、自決という大願に燃えていたことが強調されている点が興味深かったほか、馬賊の戦い方に関する記述も面白かった。また、以前読んだ『馬賊列伝』にも登場した、モンゴル独立運動の闘士であるバボージャブ(バプチャップ)将軍についても記述があったのだが、意外であったのは、戦死したバボージャブの軍隊の生き残りのモンゴル馬賊が、その後も徳王の独立運動などに加わって活動を続けていたということであった。『馬賊列伝』ではバボージャブの死後の残党の動きについてはあまり言及されていなかったからである。

 

 その後李守信は徳王の下での内モンゴル独立運動に加わり、生涯を通じて徳王に忠節を尽くした。その過程で日本軍をはじめとする、近隣の強い勢力と手を結ぶことがあるのだが、その際に強い勢力に支配されることなく、常に毅然として「利害関係が一致した相手の力を独立のために利用する」という姿勢を崩さなかった点が、モンゴル人たちの非常に尊敬できる点であった。

 また、李守信が内モンゴルにモンゴル人よりも多く入植してきた漢人たちの心をも掴み、漢人の部下たちとともに独立運動を戦っていたという点は、彼のカリスマ性が強く感じられる点であった。

 

 反面、失望させられたのは日本軍の振る舞いであった。日本軍は当初、内モンゴルの独立を助けると言って徳王などに接近したにも関わらず、後に前言を翻してあくまで自治に留めさせたり、また、徳王は中華民国から独立した暁には、外モンゴル(モンゴル人民共和国)などの同胞とも合邦し、民族の統一を目指そうとしていた、つまり「蒙古」の独立を目指していたにも関わらず、日本側はそれを無視してあくまで「モンゴルの辺境」を意味する「蒙疆」の語を押し付け、日本に来た徳王の演説内容の「蒙古」独立の語の訳を「蒙疆」に捏造したりした。

 更に、内モンゴルに駐屯した日本軍である駐蒙軍は、徳王・李守信らの率いる内蒙軍を信用せず、戦力を大幅に減少させるような編成改悪を行うなどして、後にソ連参戦時に内蒙軍を有効に使えなくして自らの首を絞めたり、徳王の意志に反して内モンゴル自治政府を近隣の中国人主体の察南、晋北の自治政府と合併させたりと、なかなかの悪手を繰り返した。

 勿論、駐蒙軍の中にもモンゴルをよく理解しようとし、真摯に向き合った人間も少なからずいたのだが、同時にモンゴル人を見下し、あくまで傀儡の駒に押しとどめようとして、結果的に自軍に不利な状況を招いた不逞の者も多かったのである。

 

 しかし、日本撤退後の内蒙軍の末路は更に悲惨であった。ソ連とともに外蒙軍が参戦したことで、一度は内モンゴルモンゴル人民共和国の勢力下に入り、統一が実現されかけたにも関わらず、ヤルタ会談での中(民国)ソの密約という大国間の都合により、内蒙古中華民国に売り飛ばされたような形となり、外蒙軍は撤退を余儀なくされた。

 更に、国共内戦では国共両側から圧力をかけられた上、国民党に付こうと思うと傅作義のようなモンゴル人に対して差別的な大漢族主義者の支配下に入り、一方で共産党に付こうと思うと土地改革の名分で破壊を受けたり、連邦制レベルの高度な自治権を約束されていたにも関わらず、結局植民地レベルの小規模な自治権に押さえ込まれたりして大変であった上、共産党勝利後の文化大革命では大弾圧を受ける結果となった。

 アラシャン沙漠に追い詰められ、ソ連から敵視されたことで外モンゴルにも亡命できず、中共に壊滅させられたモンゴル独立運動の最後は、あまりにも哀れであった。

 決して政治的な反中感情や、彼らを利用しようとした日本軍に対する共感からではなく、モンゴル人が独立のために最後まで戦って敗れた歴史への同情と、人類の平等、民族自決の観念という理想から、私は内モンゴル人の独立運動を支持したい。無論、現実性に反して理想を振りかざすほどの勇気は私には無いので、あまり詳しくはないが、もし現在の内蒙古がほとんど漢化され、独立運動が収まりきってしまっているのであれば、それはそれで悔しいが、内蒙古の現代情勢に私は口を挟む気は無い。しかし、私は傀儡化を狙った日本軍の意志によってではなく、モンゴル人の心の底から当時の独立運動が生まれていたことを決して忘れない。

 

 歴史の本を読むとその舞台を訪れたくなるのは毎度のことであるが、この本を読み終えて私は早速内蒙古の大草原や、王府の跡をはじめとする史跡などに渡航したくなった。また、独立運動終焉の地であるアラシャン沙漠の、西夏黒水城(ハラホト)と、その西にあるらしいモンゴル人の独立運動ラマ僧であるダンビー・ジャンサンの砦であるハラ・ホトにも訪れたいのだが、後者の場所に関する情報が殆ど掴めていないので、ご存知の方がいらっしゃればご教授願いたい。

 しかし、世界中行きたいところだらけで、ようやく大学の必修の授業が落ち着いて旅行の暇が出来たばかりであるので、早くコロナウイルスには死滅していただきたいところである。